見るために両目を深く切り裂いた、そんな対談だった

2009年5月6日 00:37:11

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先日、対談に参加した。
場所は高田馬場。いつもの場所だ。対談の開始時間は、14時。
午前中に高田馬場に着き、午後0時5分、早稲田通りで寺山さんに黙祷し、
カレーを食べた。

チョコクロで対談のための資料を整理し、書きかけの原稿に手を入れた。
ころすけ(市川未来)からメールが入った。
「もうすぐ着くよー。おなかすいたー」
「チョココロにいるよ」と返信すると、のこのことやってきた。

高木さん、チョコクロですよ! クロワッサンのクロです! と、
到着早々、言い放った。
店内で、早稲田の学生風の男が二人に女が一人、声高に話し、笑い合っていた。
喫煙室内のお客さん全員が(うるせーなー)と感じる所作だ。ぼくもそう感じていた。
店員に「静かにさせてくれ」と、言おうとしたところ、
彼らの会話に興味をひかれた。

恋愛話だ。悩みを楽しそうに大声で相談している。
男の「進行中未満」的恋愛の相談にあとの二人がのっている感じ。
なんだか面白くて、ころすけにそう言った。
あいつら面白いよ。

ぼくが恋愛に対して考えもしなかった方法論を彼らはそれが常識だと言わんばかりに放言し、
草食系だからだの肉食がどうしたとまるでゲームのように自身をキャラクタ化し、
キャラを立てるだの自己演出がどうのとバブル期クリエイタのような観点を持ち、

いろんな人がいるな、いろんな考えがあるんだな、と
面白くて楽しくて、それをころすけ(市川未来)に話したら、
「声が大きい!」ところすけに怒られた。

そうだ、対談だ。二本の対談が組まれた日だ。

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一本目は、『読書対談』

参加者は、鈴木邦男さん、関口和広さん、ぼく。
関口さんは、先日、『田中正造と足尾鉱毒事件研究 vol.15』に、
「田中正造直訴事件と新聞報道」という論文を発表したジャーナリズム研究家だ。
論文は、田中正造研究に新しい視点を発掘し、価値ある一石を投じたものだ。
その方法論には事実に迫る確実な足跡があり、そこには、事実を普遍へと高める階段が用意されていた。

持参した参考の書籍と資料を並べて対談は始まった。
いつ本を読むのか、読書の習慣化、全集を読破すること、読書ノルマ方法論、
読書によって変わっていく自身を自身知ること、読書の未来、読書人という人種、
趣味としての読書、インターネットの功罪、情報化の功罪、読書は仕事なのか、
読書というインプットに対するアウトプット、そして、何かを記述するということ、

対談は流れるように進み、焦点は変わっていくのだけれども、参加者はみんな読書中毒。
世間になんと言われようとも読書擁護に突っ走る。
対談の予定時間は2時間。読書の話をするのに2時間では全然足らない。
本の話ならいつまででもしていられる。

『日本思想大系』『世界教養全集』『よりみち パン!セ』
そして、鈴木さんの最近の著書、具体的な書籍に話は及び、

『本さえ読んでいれば、あとは何もしなくてもいい!』とシュプレヒコール。
『本を読め! 読書の未来は明るい! 本を持って街に出よう!』とアジテーション。

この対談が一体どんな記事にまとまるのか。

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そして、二本目は、『設樂さんへのインタビュー』だ。

設樂秀行さんは、『1982年スパイ粛清事件』の詳細を知るほとんど唯一の方だ。
鈴木さんが口を開く。「いきなり、核心に迫るけど・・・」
対談会場に緊張が走る。そして、設樂さんが、

静かに口を開いた。

静かに語られる「真実」
27年という時を越えて紡がれる言葉。
対談会場には、撮影や担当の方などで7人。息を詰め、言葉に集中する。

静かに語られた事件。

二つの対談を終えて、みなで居酒屋へ。
対談での言葉が続きつつも、みな笑顔で呑み、食べ、
この対談が言葉に起こされるのを楽しみに、三々五々、別れた。

ころすけと電車に乗り、対談の言葉の数々が頭を離れなかった。
こうして彼らと話し合えることの幸せに身震いする。
こうして話を聞くことができることの僥倖にただ頭を垂れる。

この日、ぼくは見続けた。
一言の全てを見続けた。彼らの全てを見続けた。
レコーダに記録される以上の彼らの言葉を見続けた。
そしてやはり、

見るためにはこの両目を深く切り裂かねばならないことを、知った。