見沢さんと陽羅義光さん

2009年7月23日 23:21:53

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二年前のことを思い出す。
「見沢知廉三回忌追悼公演」の稽古と準備に生活の全てを回していた。
関係者一人ひとりに挨拶をし、話をし、原稿をいただき、脚本を書き、稽古をし、
24時間、公演のことに動いていた。
ころすけ君(市川未来)とゆーこちゃんと三人で膨大な制作処理をこなした。

そんな時期にお会いした方だ。
全作家協会理事長の陽羅義光さん。ひら、と読む。
原稿をいただくことで、何度も手紙のやり取りをした。
そうだ。手紙のやり取りだった。

今も好きで手紙を書くけれども、
あの頃は、一日何通もあちこちに手紙を書いていた。
原稿の依頼であったり、公演に対する挨拶であったり、釈明であったり、
謝罪であったり、立場表明の宣言であったり、一日何通も書いた。

三回忌公演を終えて、今も、陽羅さんとはきちんとお付き合いをさせていただいている。
見沢さんの文学の師だ。
生前お二人がどんな付き合いであったのか、ぼくは知らない。
知らないけれど、陽羅さんの目を見ていると、見沢さんの生前を思い浮かべる。

陽羅さんが、全作家協会HPの全作家電子図書館
『絶対文感2【闘文篇】序文〜』を連載されている。
その第20回に、『見沢知廉』を取り上げて、エッセイを書かれている。
その中で、あの三回忌追悼公演のことにも触れられ、今、懐かしく思い出した。
たった2年前のことだけど、なんだか、とても懐かしい感じだ。

陽羅さんと8月には会場でお会いするだろう。
あの笑顔を笑顔し、たくさんの言葉を交わすことだろう。
いつか、ゆっくりと生前の見沢さんの話を聞いてみたいと思いながら、
そう思いながら、なかなか果たせない。
いつも、

今、今、この瞬間の話に終始してしまう。

稽古を終えて、こうして帰宅。今日もDVDをセット。
目の前には、大好きな映画の一本が流れている。
毎日のように映画を観る。
そういえば、2年前の追悼公演のときもそうだった。
西巣鴨の稽古場から帰宅すると、映画を観ていた。毎日観ていた。
今もそう。

見沢さんの作品を創るときに限って。

前2作の時には、映画を観ていたな、という感じはあまりない。

今日も、こうして稽古場から帰宅し、映画を観る。
たった数時間の稽古場。ぼくは、いや、違うな。
劇団再生は、完全な舞台以上に、完全な稽古場を望む。そう感じている。
ぼくの意思ではない。劇団再生の意思だ。
完全な稽古場。
それを定義しようとすれば、もちろんできる。
丁寧に論証を重ねていき、完全な定義を作ることはできる。
けれども、やっぱりそれは言葉にすることではない。
言葉にすることは、恥ずかしいことだ。

劇団再生の劇団員は、完全な稽古場を知っている。
演劇の一片たりとも余さずしゃぶりつくす稽古場。
血の一滴までも舐めつくす稽古場。
命の炎を燃やしつくし、それを燃料にし、命を再生する永久機関のある稽古場。

演劇論なんか過去の遺物だ。これから語られなければならないのは、稽古場論だ。
いつか、陽羅さんと仮説を積み上げてみたいと思った。
演劇に対する仮説、創作に対する仮説、稽古場という流れる時間に対する仮説。
それらを、二人で楽しく積み上げてみたい。
そう思った。

目の前のモニタには、大好きな映画。
誰にも言えない、一人だけの映画。

そうだ、野村さんのお墓参りに行こう。