劇団再生行きつけの居酒屋「金太郎」で真夜中白刃に魅入る。摸擬刀とはいえその存在に真剣する。

2009年9月17日 21:46:03

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マスターとのんびり話すことが
意外にぼくをのんびりとさせることに先日気が付いた。
アルコールを摂取しないぼくは、この店でラムネを飲む。
ラムネで食事をする。
お客さんが少ないときには、普段見ないテレビを眺めながら、
マスターとぐだぐだと居たりする。

いつもの自分よりは、寡黙だ。
ということに気が付いた。

何にもしゃべらずにテレビに顔を向け、
頬杖をついて、目の前の何かを口に入れたりしている。
マスターもそうだ。
別に何かを取り立てて話しかけてくるわけではない。
二人でテレビを見ながらのんびりと口数少なく話していたり。

小さいときから、大人は立派だと思い込んできた。
大人は凄くて、大人は何でも知っていて、大人はお金持ちで、
大人は何でもできて、大人はかっこよくて、大人は尊敬できて、
大人は、大人は、と。
そんな教育を受けてきた。
けれども、そうじゃないことに気が付いた。あれは、中学生の頃だった。

「どうして人間はこんな形なんですか」
そんな質問に先生はきちんと答えることができなかった。
「宇宙の外はどうなってるんですか」
その質問にも答えられなかった。
「時間はいつ生まれたんですか」
これも答えてくれなかった。
近所のおっさんは嘘をついた。
近所のおばはんは路地裏で近所のおばはんの悪口を言った。

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自分が大人かどうか、それはわからない。
そんなことは知らない。
けれども、凄くて、何でも知っていて、お金持ちで、何でもできて、かっこよくて、尊敬できる、
なんだか、そんな大人になりたいと思ってきた。
劇団再生行きつけの居酒屋「金太郎」マスターは、大人の笑顔を笑う。
優しいことや
強いことをきっとぼくより知っている。
マスターの店で大人の笑顔にふれて、ぼくは寡黙になり、ラムネを飲む。

ぼくはぼくのアリバイを実はここで証明しているわけではない。
これを書いているのは確かにぼくだ。
けれども、書いた瞬間に今のぼくは存在せず、次々と今のぼくがあらわれる、
という言い方も正確だとは言えず、けれどもここに記録されていく言葉は、
確かにぼくが書いたもので、

今ここにぼくは居ない。

と、のんびりと考えているかもしれないし、
あるいは、眠りながら覚醒を待っているのかもしれない。
また或いは、投函することのない手紙を書き続けているかもしれない。
けれどもまたこうも言い得る。
今ここにいるぼくはこれを書いたぼくではなく、ここに居るぼくは
過ぎ去ったぼくで、

ぼくはここに居ず
こことは違うもう一つのぼくの存在をしっかとするある場所に居るかも知れず、
「高木ごっこ」という摩訶不思議なギミックを駆使して、
ぼくはアリバイを作り、
誰にも知られずにぼくをぼくだと証明しようとしているかもしれない。

大人に憧れて背伸びし続けてきた十代の数々の問いに答えてくれる大人は居ず、
ぼくは自分でその答えを探した。
中学生の頃に先生に質問したあれらの問いは、
なんのことはない。20歳には答えを見つけ出した。
マスターがまたにこにこと大人を笑む。

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昔からぼくの予言は当たった。
一々例をあげて語りはしないけれど、そうなんだ。

ぼくは今、江戸川乱歩の夢を見ているだろう。
ぼくは今、伐折羅像の夢を見ているだろう。
ぼくは今、地球は平らだとその証明に必死になっているだろう。
ぼくは今、秋の陽だまり急な坂道をよいしょよいしょと歩き登っているだろう。
ぼくは今、真夜中の見知らぬ街をひたすらにただ一つの情熱だけに歩いているだろう。

公演と公演の狭間。
見えに見えている次の舞台をこの頭に残しながら、そのまた次の舞台を観ている。
劇団再生のみんなで歩んできたこの2年。
少しの休息もなく突っ走ってきた。そう思う。
公演をすることが目的ではない。劇団再生は、常に前方に! 進むことが目的だ。
秋から冬を迎える。
ぼくの秋から冬も全体像が見えてきた。
少しずつ大人になっていくだろう秋から冬が見えてきた。
マスターのようににこにこと笑むことができる大人に近付いている気がする。

森田童子のライブを聴きながらぼくは前方に! 進む。

一本の白刃に明日を予言する。