本ばかり読みながら、作品の果てを考える。

2009年10月5日 20:53:32

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休まずに稽古を続けてきた。
意地になってやってきたわけでもなく、当たり前のように稽古を続けている。
不在証明であり、同時に存在証明であり、レーゾンデートルでもあり、
なんのことはない、それが劇団再生であり、稽古は特別でもなんでもなくただの稽古で、
休まずにこうして稽古を続けている。

自分の顔よりも大きなパンにかぶりつくころすけ君が夢見た劇団は、
どんな形だったのだろうか。

二年前のちょうど今頃だった。
「見沢知廉三回忌追悼公演」を終えて、正式な劇団として動き始めた。
劇団員一人ひとりの2年前の言葉を思い出す。
ころすけ君が理想としたそこに、ぼくはその一歩を踏み出し、
2年前の秋から冬にかけて、理想を形而下に引き摺り降ろしてきた。

磯崎いなほ、鶴見直斗、田中惠子、さとうまりこ、あべあゆみ、田上雄理、宮永歩実

現在、様々な告知で表記される劇団員の名前順は、
二年前に劇団員として決定した順番だ。
ぼくとアポがとれて、時間が合い、話ができた順番だ。
すぐに会えた人もいるし、その頃公演を控えていてそれが終わってから会った人もいる。

彼らと休まずに稽古を続けている。
稽古場で何かを教える人はいない。何かを教わる人もいない。
稽古場で練習を繰り返す劇団員などいない。そんな恥ずかしい稽古場ではない。
劇団再生の稽古場は、ただひたすらに稽古場だ。
それ以外では断じてない。

ここ数日、本ばかり読みながら、ぼくは一つの決断をしようとしていることに気が付いた。

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先日、「魔窟」でいろいろな話をした中で劇団再生はどんな奴か、と
磯崎いなほと話が弾んだ。
劇団再生の血が流れ、その体温に包まれて、魔窟は、在った。

本を読む手を休め、手紙を書いた。
投函することのない手紙になるかもしれない。
これから破り捨てる手紙かもしれない。手紙を書いた。

先日の稽古場には、パソコンが3台。
ぼくのマシンは、音楽を流し続け、ころすけ君のマシンは本の編集をし続け、
森本薫氏のマシンは、ネットを駆け回り、彼の技術は劇団再生に余さず伝えられ、
劇団再生は、劇団再生の唯一ともいえる財産を惜しげもなく彼に放出する。

書いた手紙は目の前で静かにインクを定着させる。
「月夜」というインクは、ぼくの言葉を定着させる。
破り捨てようと手紙に手を伸ばした。数枚の紙は、案外に重かった。

毎日のいろんなことが劇団再生の体温を測る。
「魔窟」で言葉にされた劇団再生の血流を体温を筋肉を消化器官を呼吸器をぼくは、

知る。

体が痛む。くそっ! と夜を吐き捨てる。
体に接続されたコードをまとめて引き抜く。
ぼくは、単体でこそ動作するマシンではなかったか。
いつの間にこんなに何かが接続されてるんだ。何十本ものコードを痛みにまかせ一気に引き抜く。
足元もコードだらけだ。なんなんだ。
どのコードがどこに接続されているか確認もせずに一気に引き抜く。
どうなろうが知ったこっちゃない。
ぼくは、単体でこそ動作するように設計されたマシンではなかったか。
構成するパーツは確かに古い。何十年も前の設計だ。
筐体もメモリも保存装置も電源もそれらを連結する内部のコードも何十年も前の古いパーツだ。

ぼくは単体で動作し、
単体で入出力を制御し、単体で計算を行い、単体で処理を行ってきた。

書いた手紙を破り捨てる手を置き、ぼくに接続されたコードをまとめて引き抜いた。

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劇団再生の稽古場では当たり前に稽古が行われる。
池田晶子は、「あたりまえなことばかり」という名著を遺した。
当たり前に、当たり前に、ただ稽古が行われる。

毎週、その当たり前の稽古場を見ながら、次の舞台を思う。
見えている画。これまで以上に見えている画。これこそが画という画。
画が言葉になるかどうか、ペンを入れる前の今から恐ろしくなる。
これまでに感じたことのない恐怖。理解の果を、解釈の余地を、理性の埒外をいく画だ。

いびつな半生を失格し、反転する。
世界に巨大な否定を突きつけ、裏返しにする。

たった空。
たったの空。

手紙の最後に、そう書いた。

劇団再生の稽古場では、当たり前に稽古が行われる。
演劇が、
世界認識の一形式であり、世界獲得の一手段であるに過ぎないことを知る稽古場。
劇団再生の永久演劇運動。
その運動を運動させる一つの機関をぼくたちは持っている。

演劇機関だ。

雨か。
まだ何本ものコードがぼくから延びている。
それをずるずると引き摺りながら、ベランダに出た。雨だ。
雨がどこから降るのかぼくは知っている。そんじょそこらにある空からではない。
空から降る雨を雨だと言い切ることは、非礼にもほどがある。

ぼくの空を見上げる。
コードを引き摺りながら、空を見た。
次の舞台だ。
次の脚本だ。

昨日と同じようにそっと首に手をやってみる。
この動脈と静脈が流れる首に接続されていた不必要なコードはまとめて引き抜いた。
引き抜いたこの首に残っているのは、

たった傷
たったの傷

消えることがあるかもしれない。生涯消えることがない傷かもしれない。
その傷に手をやり、今日も空を見た。
演劇機関、と呟いてみる。その機関のエンジンは、永久機関だ。
自らの命をその燃料とする永久機関だ。
首の傷は、ぼくの証明であり、
これから突きつけられる研ぎ澄まされた切っ先の目印となる。

一通の手紙は、案外に重く。