ピアノを弾いた。コナン君を観た。本を読んだ。見沢さんに触れた。脚本を書いた。眠り、起き、また眠り、カロリーを計算した。夢を見た。その夢に嫉妬した。

2010年5月10日 22:25:51

ひげを剃ろうかな、と思った。
思ったけど、ひげを剃るための形而上が見当たらなかった。
だから、ひげを剃らなかった。

ひげを剃ることと爪を切ることは、形而上でしかできない。

例えば、分かり易さや観客の要求にこたえて、
真実や真理を犠牲にすることは絶対にない。
どこまでも難解になろう。観客を失うことに感傷はない。
100万人の読者よりも、一人の真の理解者がほしい、と魘された。

ただ、夢に魘されただけだ。
理解者? なんだそれは? と起きぬけに25年の演劇歴を蹴飛ばした。

理解者なんか、誰にだって居るはずがない。
真の意味においてのそれは、常に己を否定することにおいてしか存在しない。
己の否定において自己を自己たらしめるというヘーゲル的な立場に立てば、
或いは、理解者という概念もそんな一人も居るのかもしれない。
けれども、

と、考える。
なるほど、自己の否定においてか。
ぼくは、条件が嫌いだ。世間は、条件が好きだ。
何もかもが条件付じゃないか。気持ち悪い。条件を付ければうまくいくと思ってやがる。

まあいいさ。
と、ピアノを弾いた。でたらめに弾いた。
どこをどう弾いてもぼくのピアノからはイ短調しか流れない。

さよなら、演劇。
と、呟きながら、ぼくは演劇を分解する作業にはいった。
見過ごすことのできない数々の問題に取り組もうと思った。
そうしなければ、行く先も見えない。
作品を創ることばかりに価値を置いてきた日本演劇の半世紀を侮蔑する。
演じること、書くこと、発表することをその表象とした半世紀を後悔する。
さよなら、演劇。
その最後の言葉の次代半世紀。ぼくは、演劇を考えよう。

けれども、ただそれだけのことだ。

さよなら、演劇。
と、一声大きく鳴いたら、コナン君が謎解き。
コナン君が小さな体で頑張ってる。

さあ、真夜中だ。ひげを剃りたい。形而上を探しに行くか。