『復活の日』を観た。言葉のない一枚の映像に泣いた。何度観ても、何度観ても、湧き上がる心を、見た。

2010年6月1日 22:59:14

写真

何度観ても、薄れない。
なんという映画だ。これぞ映画、だ。

1980年公開。ちょうど30年前の映画だ。
公開前から楽しみにしていた。
中学生だった自分。
当時は映画少年だった。『ロードショー』『SCREEN』という映画雑誌を毎月貪った。
13歳のソフィー・マルソーが『ラ・ブーム』でデビューした頃だ。
クリスティ・マクニコルが『さよならジョージア』で溌剌をした頃だ。
中学生、映画少年。

『復活の日』は、公開前からたくさんの話題を提供していた。
全編ロケ作品。日本とカナダの混成スタッフ。多くの外国人俳優。世界公開。
南極でのフィルム撮影は本作品が初めてじゃなかったか。
マチュ・ピチュでの撮影。カナダ海軍の協力、南極での事故。

公開を楽しみにしていた。

監督は、深作欣二。
そういえば、深作作品は、好きだ。
『仁義なき戦い』『青春の門』『魔界転生』『蒲田行進曲』『人生劇場』『華の乱』
監督深作が、壮大なロケで挑んだ『復活の日』

どうしようもなく観たくなる日がある。
そうだ。1980年の公開時は、劇場で見た。
映画は、劇場でみるしか手段は、なかった。
レンタルビデオという形態は、なかったはずだ。DVDももちろんない。
映画は、劇場か、或いは、水曜ロードショーというテレビ番組で見るしかなかった。

『復活の日』を観にいった。
今でもはっきりと覚えている。パンフレットを買った。
どの辺りの席で見たかも覚えている。

今は、こうしてDVDで観る。小さなテレビモニタで観てもあの巨大で根源的な感覚が薄れない。
なんという映画だ。これぞ、映画だ。
原作は、小松左京。もちろんとんでもなく面白いSFだ。
監督深作の頭の中に、映像が見えたのだろう。
そして、その見えた画を具現するには、世界中をロケしてまわるしかなかったのだ。
CGという技術は、当然ない。

あの壮大をフィルムに焼き付けたければ、現地で撮影するしかない。
角川はそれをやった。深作はそれをやった。
劇場で3度見た。
映画少年は夢中になった。いつか、映画を撮ってみたいと夢見た。
生まれ育った小さな町に劇場はなく、汽車に乗って映画を観にいった。
朝から出かけて何本も観た。
別の日には、また別の街に出かけて何本も観た。
名画座も好きだった。洋画も邦画も好きだった。

それにしても何という映画だ。撮影はあの木村大作。
70年代から2000年にわたりアカデミー撮影賞を総なめにした撮影者。
『野獣狩り』『日本沈没』『野獣死すべし』『八甲田山』『海峡』『火宅の人』
忘れられない映画ばかりだ。
深作とのタッグも多い、高倉健をフィルムに焼き付けた作品も多い。

映画少年は、映画監督に憧れた。
毎月発売される映画雑誌を隅々まで読み、キャメラが欲しいと思った。
時間が許す限り、小遣いが許す限り、劇場に足を運び、
テレビで放映される映画を欠かさず観ていた。

今でも映画は、好きだ。アニメも観るし、洋画も邦画も観る。
そして、こうして、どうしても観たくなる作品がある。そんな夜がある。

そんな日がある。
『復活の日』がどうしても観たくて、観た。

ジャニス・イアンの歌声に心が揺れる。
境界を行き来するオープニングに己の危うさを知る。
草刈正雄が、オリビア・ハッセーが、渡瀬恒彦が、多岐川裕美が、ジョージ・ケネディが、
夏八木勲が、緒形拳が、ニコラス・キャンベルが、千葉真一が、森田健作が、永島敏行が、
35ミリフィルムに焼き付けられている。

二時間半ほどの作品だ。
じっと一つところに座り、ついた左手にあごを乗せて、じっと、観た。
目が離せずに、じっと、観た。
トイレに立つこともできない。ポーズなんてできやしない。
30年前の映画少年。薄汚れた劇場は大人の世界。夢見た映画監督。

何十年経っても薄れないあれやこれやを観た。