高木ごっこ・・・571-105『一人かと呟くに一人』

2010年6月4日 21:30:00

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このHP「高木ごっこ」も丸4年を過ぎ、5年目に突入し、
そういえば毎日毎日よく書いてるな、と、ふと普段思いもしないことを思ったりした。
5年目か。そりゃまあ、いろんなことがあるってもんだ。
毎日は楽しい。昨日よりも今日が楽しい。いつもそうだ。
今日よりも、明日(その存在を言葉で証明する事は難しいが)は、もっと楽しい。
コトバの成長を追いながら、本ばかりを読みながら、破壊衝動に鳥肌をたてながら、
目の前の一切を止揚すべきだ、と何もかもの定義づけに日を過ごしながら、
不安と恐怖と快楽の、いつも、いつも、いつも、そんな、

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夜だ。一首歌う。「一人かと呟くに一人」
目の前でくるくる回る森田童子。
くるくるとレコードが回る。
言葉にならない不安を抱き、森田童子を聴いている。

「高木ごっこ」は5年目をむかえ、記事の数は1700を超え、
1000日連続で記事を書こうと試み、999日でその目論見は頓挫し、性懲りも無くまた
1000日連続で記事を書いてみようと挑戦している。

なるほど、
こんなとこにきちまった。高い場所だ。
高い場所、か・・・。
高い、高い木の上、降りるに降りられない、こんなところにきちまった。
理解者が欲しい。森田童子はくるくる回る。くるくる回る黒いレコード。
高い、こんな場所で、ぼんやり上を眺めて、聴いている。

ぼくが、
平和を得るためには、
知ることと、生きることを拒否するしかないのか

破壊へと向かう精神が能動し、
破滅へと向かう思考が喜び勇み足。
破滅の美しさと快楽。ぼくは、いつもそれを望んでいた。

地獄の業火に焼かれる官能絵巻。
ぼくはいつもそれを観たいと思ってきた。

知ることを拒否し、生きることを拒否しなければならない平和なら、こっちから願い下げだ。

ぼくは、空に手を伸ばしていた。空に手を伸ばしてきた。
今も、ぼくだけの言葉を呼び、その言葉に手を伸ばしている。

「ここに来い、ここに来い」
その言葉と心中だ。「連れてってやる」

ここに来い!

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丸4年を超え、今も書き続けている「高木ごっこ」
ぼくはぼくのアリバイをここで証明しているわけではない。

これを書いているのは確かにぼくだ。
けれども、書いた瞬間には、今のぼくは存在せず、次々と今のぼくがあらわれる、
という言い方も正確だとは言えず、
けれどもここに記録されていく言葉は、確かにぼくが書いてきたものだ。

こんなところに来ちまった。なんて高い場所だ。
ぼくは、どこにいる? 果たしてそこはどこか?

と、のんびりと考えているぼく自身を見詰めながらなのか、
あるいは、眠りながら覚醒を待っているのかもしれないぼく自身、
また或いは、投函することのない手紙を書き続けているかもしれない。
と、自身の不可能性を思考実験し続ける、そして、

けれどもまたこうも言い得る。
今ここにいるぼくはこれを書いたぼくではなく、ここに居るぼくは常に
過ぎ去ったぼくで、

ぼくはここに居ず、

こことは違うもう一つのぼくの存在を証明するある場所に居るかも知れず、
「高木ごっこ」という摩訶不思議なギミックを駆使して、
ぼくはぼく自身の未来のアリバイを作り、
誰にも知られずにぼくをぼくだと証明しようとしているかもしれない。

くるくる回る森田童子。
こんなところに来ちまった。
理解者がほしい、とくるくる回り、歌う。

一人かと呟くに一人。