『鈴木邦男という質量』・・・多くの言葉を頂きながら

2010年8月16日 23:44:25

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8月23日の企画公演『見沢知廉・男・46歳・小説家』、その準備に追われている。

それと共に次の公演に頭は奪われている。
全体のイメージ、公演の意義、具体的なプラン、予算、動き、
スタッフ、人員、そして何よりも、公演が在ることの意味。

ぼくは、公演という一枚の画の意味を知っている。
それを知る者、ぼく一人かもしれない。この重大な意味。
そんな意味を知るようになったのは、鈴木邦男さんの無言のまた或いは小さな一言の薫陶だ。
鈴木さんは、ぼくがそこに向かうとは思わずにその無言をされた。
また或いは、有言の小さな薫陶だったはずだ。

ぼくが、鈴木さんを勝手に拡大解釈しただけかもしれない。
それは確かにそうだろう。どんな繋がりも、「一人側」の勝手さが大きなファクタになる。

鈴木さんは今も無言を続ける。
ぼくは、その無言を読み続ける。
見沢さんの現在の雄弁とまさに対比にある鈴木さんの連続する無言。
ぼくは、その無言を勝手に一人し続ける。

論理的帰結

ぼくは、ますます無言にならざるを得ない。
そして、一人っきりの嘘吐きにならざるを得ない。

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