40歳になったら

2010年9月8日 21:12:42

さあ、やるか。

とよく口にする。
自宅で書き始めるときも、稽古場で稽古を始めるときも。
どこかに向かおうとバイクにまたがった時も、約束の日の開場の前にも。

さあ、やるか。
さあ、行くか。

一日ひっくり返り、そのことを考えていた。
口癖のようにそう言いながら、一体何をやるのか、どこに行くのかと。

40歳になったら、刀鍛冶、刀匠になろうと思っていた。
ずっとそう決めていた。
35歳になったときに、5年後刀匠になるために弟子入り先を探した。
紹介を受けて、東京から随分離れた中部の町に見学に行った。
刀匠の方と話をした。弟子入りをしたいと話をした。一日で三人の方とお会いした。

刀に惹かれ、刃物に惹かれ、あの暴れる火に惹かれ、
一人で打ち続けるその姿に惹かれ、
40年の全てを捨てて、刀匠になろうと画策していた。

台風がきているらしい。
外の雨を耳に聞き、一日そんなことを考えていた。
その40歳をいくつも越えた。
今、東京を捨ててはいない。演劇を捨ててはいない。
どうして、何もかもを捨てられなかったのかと、小さな痛みを覚える。
ベッドに縛り付けられ横になったままの背中の隅に、小さな痛み。

さあ、やるか。
さあ、行くか。

条件付の願望なんか叶うはずがない。
そりゃそうだ。両手の願望なんか叶うはずがない。
ベッドの上で、彫師になりたい、と気付いた。
そうか、これだ、と確信した。

彫師と演劇、秤にかける。
何もかもを捨てて、何もかもを引き換えにしてでも、と。
己に素直になってみる。
ベッドの上で秤がどっちに振れるか彫師と演劇。

さあ、やるか、と口に出したら、ボードレールを思い出した。
手近にある段ボールの中からすぐに出てきた『悪の華』
40年を捨てられなかった背中に居座る小さな痛みを感じながらページをめくった。


だが本当の旅人とは、ただ出発のために出発する人々だけだ。
心は軽く気球にも似て
その宿命の手から離れることはついになく
なぜとも知らずに、いつも言うのだ、行こう! と

さあ、やるか。
ぼくの刀匠40歳をいくつも越えたが、なんてことない。

さあ、行くか。
ぼくには行くところがあるんだ。

彫師と演劇秤にかけて台風を聞く。
さあ、やるか、と立ち上がると見沢ママから電話があった。
見沢さんの話をした。見沢さん、大丈夫、やることはやるよ。
口に出したことはちゃんとするから、安心して待ってな。
ただね、見沢さん、

見沢さんに行くところがあったように、ぼくにもやっぱり行くところがあるんだ。
なんて書くとまるで『罪と罰』か。まあ、いいや。さあ、やるか。
と、マシンをたたき起こした。

時流にのってようやく入れた光回線。
安全策をとり、これまでのADSLもしばらくは契約。
セットアップも簡単になったもんだ。
送られてきた機械を説明どおりに繋いだら、何もしないでネットに繋がった。
あれ? 昔はもっとなんだかあれこれと設定とかした気がするのに。

光か。どんだけ速度が出てるんだろう。と、さっそく測定してみる。
いくつかのサイトで計測。それを時間を置いて数度。
下り平均が30M、上り平均が20Mといったところか。
まあ、ストレスがなきゃどうでもいい。

さあ、やるか。
マシンが起きた。ぼくも起きた。
書きかけの原稿をモニタに映し出す。万年筆のインクをチェックする。
原稿用紙を机の上におく。資料は揃ってる。
片付けるべき雑務、今日はない。プレイヤを起動する。音楽は、

SION

コーヒーを淹れる。
煙草に火をつける。
さあ、行くか。

ぼくには行くところがあるんだ。
そして、そこには、連れて行く言葉があるんだ。
その言葉の手をひいて、或いは心中か、とぼくには行くところがあるんだ。