日本という質量・・・144-11 『勉強します』

2006年10月25日 23:29:02

さて、毎日、忙しく生活をしているわけです。
とても、時間が足りません。
これだけストイックに時間という目盛りを管理しても、
どうしても足りません。

なににつけ、
外部からの情報なり、
自分以外からの接触なんかがあると、
(それは、当然あります。無限に近い数量の情報と接触。
それがないと生きていけません、人間。
自分以外が発する音、自分以外の対象を見ること、
活字、他者の声、世界の声、新聞、本、日々の買い物に交通・・・
本当に無限の情報と接触!)
考えます。

やはり、自分に置き換えて考えます。
そして、はたと、とまります。

自分に置き換えて?
ん?

ああ・・・本末転倒・・・

そも、自分を定義できない自分がいて、
それを知りたくて、
言葉との戦いを続けているのに、

そんなものに、何をどう代入できるんだ・・・

ああ、自分に置き換えることなんかできない・・・

そして、その自分を定義づけしたいがために、
今の自分の存在をかろうじて、

仮定しています。

仮定された高木尋士と名付けられた、個。

なぜ、ここに居るのか。
こことは、どこのことか。
居るとは、どういう状態か。
なぜ、と、思う自分は、仮定された自分とは違うのか。
仮定が仮定を定義して、
一つの証明をしても、
それは、真実だろうか。
そも、一つとは、何か。
定義するとはそもどういうことか。
考え尽くせません。
でも、考えます。

全て仮定された個。

ここというものを、例えば、地理的に日本とする。

では、地理学上の日本に居ると仮定されている自分とは何か。

知りたい。
知りたい。

何もかもを知りたい。

肉体的に繋がってきた血。
その血の流れの全てを知りたい。
どこに辿り着くのか。

勉強します。