今年も合宿らしい収穫を得、東名高速に概念を遊ばす

2010年9月26日 21:54:47

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劇団再生、今年の合宿。最終日を迎えた。
天候には恵まれなかったが、そんなことは関係ない。
富士山も見えたり、見えなかったり。

朝から晩まで稽古だ。

こんな環境がほしい、と毎年思う。
専用の稽古場。演出卓。

ぼくの演出卓には、パソコンと脚本とコーヒーのセット。
資料の本があり、お菓子もある。
煙草が吸えるといいのだが、と思うもこのご時勢。

それにしても舞台のことばかりを考えていた。
三度の食事も舞台のことを考えていた。
シャワーを浴びるときもそうだった。
眠る時間なんかない。考える時間が足らない。
寝ている暇なんかない。考え、言葉を探し、画を真摯に向き合い、

俳優を目の前にする稽古場では、考えることは、できない。
稽古場では、稽古場の仕事をするだけだ。
考えるのは、一人のとき。一人でしか考えることはできない。
考え抜いたことはいつの日か、稽古場で俳優に伝えられるだろう。

何をしなければならないか。
この舞台の目的は何か。
そんな根本的なことをきちんと考えた。

そんなときは、何かを食べても味なんかわからない。
どこにいようと場所を失う。
眠っていても考えているもんだ。そんなもんだ。
考えたいんだ。眠ることよりも考えることのほうが優先なんだ。

そしてこの合宿には締め切り間際の原稿持参。
朝5時に起きて、原稿を書き進め、
6時になったら部屋を出、ネットの繋がる場所へ移動。
自販機であったかいコーヒーを買い、
調べごとをしながら7時まで原稿を書いた。

朝食を食べ、稽古場に移動し、稽古が始まるまで原稿を書き、
昼食を食べ、稽古場に移動し、稽古が始まるまで原稿を書き、
夕食を食べ、稽古場に移動し、稽古が始まるまで原稿を書き、
その日の稽古を終え、部屋に戻り、シャワーを浴びて原稿を書き、
11時の消灯。
部屋の電気を消し、パソコンのモニタの灯りで原稿を書き、
2時、3時。寝てる時間なんかないんだが、と横になり、
考え、書き、考え、書き、言葉を探し、舞台を探し、
3泊4日の今年の合宿。

考え抜いた3泊4日。書きに書いた3泊4日。
帰り道の東名高速。
死ぬんなら東名高速だ、首都高は嫌だ。
東北道、常磐道なんかもってのほかだ。東名高速で散るんだ、と
思い返せば訳のわからないことを車内に撒き散らし、

こうして、いつもの机についた。

考えねばならない事がまだたくさんある。
それが楽しくて仕方ない。それが嬉しくて仕方ない。
考えていたい。

3泊4日で考え抜き、なるほど、この数十時間に考えたことはこれだったのか、

と得心のいく言葉が、帰宅して、机について、分かった。

なるほど、ふさわしい一言だ。
この一言を探すために合宿に行ったのか、と煙草に火をつけた。
どんな一言か。

それはまたいつか、書くこともあるだろう。
今は、まだもったいなくて一人で楽しみたい。

べったりと、

べったりと背中に張り付いた疲労。
なかなかこんな疲労を背負えるもんじゃない。
どんだけ疲れてんだ。
知らず、涙が出るほどの疲労。

べったりと、粘着質で、重量のある疲労感。
こんなときは素直に眠れるもんじゃない。
明日の予定は、と形而下に降りてみても、

知るか!

そんな毒を吐く。素人どもが、俺に近付くな。

頼むから声をかけるな。
頼むから一人にしてくれ。
素人と少しでも何かを共有したくないんだ。
例えそれが生存に必要な酸素であっても、燃料であってもだ。
素人どもと吸わなければならない酸素なら、
こっちから願い下げだ。喜んで窒息死する。

さあ、ぼくにとって恐るべき合宿を終えた。
一言の言葉を手に入れた。一行の言葉を手に入れた。
数年は考えることができる一行だ。

目の前には形而下の雑務が山積。
やっつけてしまうか、それとも。

ままよ、今は楽しいことがぼくを占めている。
一人でそれと対話する。
舞台は出来た。なにもかも出来た。完全だ。

煙草が根元まで灰になった。
DVDプレイヤに『赤目四十八瀧心中未遂』