早見慶子さん責任編集『イチゼロ』

2010年12月4日 23:06:05

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先日、早見さんから送っていただいた。

ポストから取り出し、封を切った。そこにあったのは、やけに目立つ表紙だった。
なんだ、なんだ、と、
待ちきれずにエレベータの中で読み始める。

早見慶子責任編集、とある。
緊急創刊。
楽しみになってきた。
玄関を開け、同時にページもめくっていく。

目についたのは、山口裕二郎さんのオープニングを飾る記事。
笑いながら読み、けれども、(大丈夫か・・・)といささか心配になりながら、読んだ。
心配になりながら、とは、
(こんなことを書いてしまって・・・)
(ここまではっきりと一つの表明をしたのは、彼が初めてじゃないか・・・)
と・・・。山口さんの顔を思い浮かべる。

それにしても、驚くほど多彩な執筆陣。


[特集] 闘争と逃走を抱擁する愛への誘い
◆創刊にあたって/早見慶子
◆右翼のフリした遊び人/山口祐二郎
◆自由勝手な自由人/大分KCIA
◆太田龍、未来への遺言―太田龍×早見慶子ロング対談
◆“マイナス成長―財政破綻”を阻止するために―成長戦略としての為替政策を問う!/稻田雅彦
◆プリズン・ラブ Season1/恩田亮
◆サクセス心理学/風車
◆職場から始まる物語/ABC
◆俗情の伝染―在特会について/金垣広行
◆在特会問題によせて―対立を止揚する概念/柴田浩司
◆[形而上学小説] 呪いとミメーシス/朧塚
◆[漫画] ご近所の神様/桜ひらりん
◆ラッキー・ジェイ独占インタビュー/寺澤鉄太郎
◆競争から共創へ/早見慶子

中でもやっぱり、太田龍氏と早見さんの対談だ。
食い入るように読んだ。

『放熱と冷却、或いは投函されたことのない哲学書簡』

と、不意に思った。
そう感じた根拠は、薄弱だが、ある。
薄弱だが、というのは、このロング対談をこうして言葉として読んだときに
「感じた」ことが、多分、非常に個人的な感じ方のような気がしたからだ。
一般的ではないけれども、根拠は、ある、薄弱だが、と。

その感じた個人的な感じ、とは一体なんだったんだろう。
『放熱と冷却、或いは投函されたことのない哲学書簡』という不意に浮かんだ言葉。
多分、

太田龍という言葉と早見慶子という言葉に、フランス的な感覚を抱いたのかな、と思う。
フランス的な、というのも、説明するとまた難しいのだけれども、
そして、説明してもなかなか一般の理解は得難いのではないかと思いはすれど、

そう、確かにフランス的な、文化を感じたんだ。
例えば、ダランベール。
例えば、ディドロ。
或いは、ヴォルテール。

ダランベールの数学的思考、数学的文学。彼の『動力学論』的展開。
ディドロ特有の劇場型思考法。ディドロは、『劇作論』において、演劇や俳優を逆説的にとらえた。
逆説的というのは、対社会において、だ。
そう、太田龍・早見慶子の対談は、『表現論』ともとれる対談だ。

ということに思い至り、なるほど、フランス、か、と思ったんだ。
ヴォルテールに関しては言うまでもない。
そんな、18世紀フランスの諧謔と逆説的正当。

確かに、強く、強く、考えてしまった。
考えながら読んでしまった。しまった、というのは、その言葉通りだ。
「しまった。読んでしまった」だ。
これを読んだら、考えるしかないじゃないか。
これを読んだら、調べるしかないじゃないか。
これを読んだら、答えるしかないじゃないか。

「しまった。読んでしまった」

とはいえ、驚くほど多彩な執筆陣。
なんだ、なんだ、このラインナップは。
早見さんの懐を思う。こんな彼らを飲み込むのは大変だったろう。
あの小さな体に飲み込んでしまうのは、苦しかったんじゃないだろうか。
そんなことを思いながら、

あっという間に読了。

読み終わり、立ち上がった。
「さあ、やるか!」と立ち上がった。