友人にあった

2011年3月5日 21:42:11

もうどのくらいの付き合いになるかわからない。
多分、20年くらいだろう。
いろんなことがあった。お互いに、いろんなことがあった。

具体的な事事はさておき、ぼくのほとんどを理解している。
彼のアジトに行った。そのアジトが好きだ。
衒いも恥もなくなんでも口にできるその友人とそのアジトが好きだ。

だらだらと話し、飯でも食うか、と蕎麦をたぐり、
彼はコップ酒をあおり、ぼくは煙草をふかした。
特筆するような話ではないが、彼と話した。

だらだらと思いつくまま話をした。
言葉が生まれてくるという感覚ではなく、
そこに彼の前に言葉があった、という感覚が近い。

20年の友の前に言葉を置く、そんな感覚だろうか。
彼もまた、ぼくの前に純度の高い、言葉を置いた。
そりゃいろんなことがあった。あったが、まあ、お互い生きている。

生きている。それは、もちろん生存、という意味ではない。
生き残っている。もちろん、生存、という意味ではなく、だ。
「あれも、これも」と彼は不純ではない。

良く知っている。「あれか、これか」と、背水に陣をひいてきた彼だ。
友人にあった。
毎日の生活で、あれも、これも、と優先順位をつけられる性質ではない。

あれも、これも、と望む生活に唾を吐いてきた。
はっきりと言う。
あれも、これも、と生活に優先順位をつけられる意識を軽蔑する。

そんなに大切なものがいくつもあってたまるか。
あれもこれも大切だから、何が大切かわからなくなってんだ。
夢も希望も望みも金も仕事も大切だなんて、何様だ。

軽蔑はするが、羨ましくもある。
そうやって生き抜ければそれはそれできっと幸せだ。
なんにも創り出せないだろうけれども、市井の一員としては十分だろう。

寂しい。
彼と話した。話して、ぼくの接続をあちこち一気に断ち切った。

友人にあった。