作品を創るということ

2011年4月18日 23:07:08

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週一回、昼から夜まできっちりと稽古をしている。
稽古前の午前中は、制作部による制作会議だ。頭を使う。
使う頭は、まったく別だ。制作的な頭と作品を創る頭。

これまでは、その別々の思考場所を無意識のうちに使い分けているのだと、
思っていた。そして、そんな立場にいついろんな人が、そういうのを聞いて、同意していた。

でも、と、考えてみた。

制作という具体的且つ現実的な方法と決定。
作品を創るという創造的且つ芸術的な方法と決定。
その、どこが違うんだろう。

どちらもぼくの頭の中で考え、他者の意見や衝動を取り入れ、
そこから生まれる次の「出来事」を見定め、決定し、次に進む。
経路としては、まったく同じだ。じゃあ、なにがそんなに違うんだろう。

違わないのか?

違う、というのは、ある種の選別的意識が働いているからじゃないか。

答えは、わかった。深く考えるまでもなかった。
同じだ。制作的決定も創造的思索も。

同じなら、考えるまでもない。
無意識化で働くそれらのルーチンをこれまで以上に先鋭化するだけだ。
そして、制作は、創造的作品を対自し、止揚されるだろう。
現実は、芸術を対自し、止揚されるだろう。