開演時間という謎

2012年5月1日 00:38:06

30分単位で動き回り、
東京の西から東へ行ったり来たり、
楽しい時間を予定通りに過ごしながら、
会話を楽しみ、装いを楽しみ、出会いを楽しみ、
疲れて火照った足に(こりゃ夜は寝づらいな)と、声をかけ、
次の作品のヒントを得、
それを現実の視覚に触れるものとするため考え考え、
夕方から予定通りに仕事に取り掛かり、
時間通りに仕事をこなし、時間通りに休憩をし、
日は変わり、止まったままの時計は、明日の4時16分を指しているのか、
通り過ぎたいつかの4時16分をさしているのか、
形而上で爪を切り、おんなじ場所で爪を磨き、
なるほど、今日も真夜中だ。

まあ、
それにしも、だ。

開演時間という罠、開演時間という謎、に、挑みつつ、
はて? とまた別の視点を得たりもしている。

「法的にはどうなんだ?」と。

チラシやHPなどで、「開演時間」が正確に告知される。
不特定多数の第三者に対して、だ。
そこに曖昧さは、ない。
全てのそれらを精査したわけではないので、「絶対」とは言い切れないが、

「開演は、19時頃です」とか、

「開演時間は、大体14時です」とか、

「19時ごろ始めようと思っています」とか、

そんな表記は、未だ見たことがない。
曖昧さのかけらもない間違えようのない表記のされ方がされている。
そう、

間違えないように、注意深く、表記されているのだ。
なぜなら、主催者にとって、開演時間を観客に

間違えてほしくないからだ。

注意深く、注意深く、印刷に回すときには、特に何度もチェックするのだろう。

観客に、開演時間を間違えてほしくないから。

それにも関わらず、いざ、その当日、その時間になると、

始まらん。
まったくもって始まらん。
驚くほど始まらん。

なんで?

ほんとにもうわからん。
全然わからん。
チラシを作る時には、観客に間違えてほしくないばかりに、
きっちりと、正確に、堂々と、その時間を、表記するのに。

さて、話を戻すが、

「開演時間を守らずに、勝手に時間を変更するという行為」は、

法的にはどうなんだ?

これが、約束という「契約」であるならば、当然、
債務不履行だ。
民法上、違約金が発生するだろうし、相応のペナルティがある。

が、だ、

「開演時間」という時間と不特定多数との間に、契約が成立するのだろうか。
或いは、「興行」という分野において、なにか法律があるのだろうか。

法律に詳しい人がいたら教えてほしい。
んー、それよりも、すぐにでも弁護士とかの法律家に話を聞いてもらうか。

まったくもってわからんが、
「法的に」というアプローチもあるんだろうな、と思ってはいる。

と、ともに、

多くの「げきだん」や「しゅさいしゃ」や「ぷろでゅーさー」とかは、
どう考えているのだろう。

アンケートでも出してみようか。

『開演時間は守りましょう』ということにおいて、
賛同し、そうしようとする団体や個人は、いるんじゃないだろうか。

必ず、やってくる。

時間を守らない団体が、恥ずかしい思いをする日が。
そんな団体がバカにされる日が。

と、思うのだが、やっぱり俺一人がぎゃーぎゃーか?
それならそれで仕方ない。
あちこちそちこちでトラブルの種を蒔いてくるまでだ。
その種は、長くて丈夫な蔓を伸ばし、あんたの首を絞めるだろう。

そんなことを思えば思うほど、「開演時間の謎」が深まる。
その深まりは、ぼくの睡眠を阻害する。

なにより、それが一番問題だ。