開演時間という謎

2012年9月19日 16:54:02

相変わらず一人で大問題化している。
前回の『正義の人びと』という作品を発表した時、4人のお客様に言われた。

「再生さんは、必ず時間通りに始まるのでいいですね」

ぼくの友人ではない。一般のお客さんだ。他の一人は、

「ぼくも開演時間を劇団の都合で遅らせるのはどうかと思うんです」

開演時間の法的根拠
開演時間決定の意図と責任
開演時間の道義的責任
他者の時間と換金性と作品の関係
作品と製作者と制作者と創作者と鑑賞者の関係
約束と責任

開演時間に対してこれほど多角的に考え続けているのは、きっと僕だけだろう。
みんな、案外どうでもいいことなんだろう。
何十年という時間の勢いに今も流され続けているこの業界。
甘えきった業界。変化を望まない業界。楽な方に楽な方に足を進める業界。

そのくせ、「金が金が」という業界人。
協会を作り、小さな声を大きな声に錯覚させ
「演劇での生活基盤がどうしたこうした」とのたまう業界人。
「日本の演劇を国際的にうんたらかんたら」と偉そうな業界人。

自分の決めた時間一つ守れずにもらうものはきちんともらおうとする腐りきった彼ら。
公に発表した時間を守れずにそのことに対して言い訳を正当化する彼ら。
チケット代は欲しいらしい。評価と名声は欲しいらしい。
そんなもんあとからいくらでもついてくるだろ。
きちんと創るものを創って、あなたにしかできないものを創れば。
何十年にもわたって堕落し続けた「そこ」
その場所が、今も演劇、だと呼ばれるなら、ぼくは二度と演劇という言葉を使わない。

とまあ、一人でぎゃーぎゃー。
そんな話をあちこちでしてきたが、なかなか賛同者もあらわれない。
前回の発表でそんな話をした数人のお客様。
彼らの声はぼくを勇気づけてくれた。
「開演時間を守ってほしい」と思うお客さんも多いはずだ。
反対に、どうでもいいと思っているお客様もいるだろうが。

開演時間を守ってほしいと思うお客様も、声を大にして「守れ」とは言えないだろう。
多数に流され、権威に飲まれる。
そんな声なき声を代弁するのも発表する側の使命じゃないだろうか。
作品の中に偉そうに政治や主張を持ち込むことも大切だろう。
でもそれを見に来てくれるお客様の声は?
開演時間を守ってほしいと思うお客様が少数だから無視しているのか?
きっと、
たくさんのお客様が、開演時間を守らないなら、観に行きません、と
声をあげたら、
これまで守らなかった劇団も、きっと守るだろう。チケット収入がなくなるからね。
そんな精神的・金銭関条件付きでもいい。開演時間を守るべきだ。

作品に罪はない。
作品がかわいそうだ。

ぼくは、開演時間を守らない「人的判断」「人的資源」を軽蔑する。
そんな人や団体や判断を軽蔑するが、作品を軽蔑することはない。
観客として評価はしても軽蔑することはない。

声は届かないか。
この高木ごっこの中であちこち跳ねているだけか。
声は届かないか。

それでも声をあげる。開演時間を守ろうよ。
みんなそれが正しいことだと知ってるだろう。
どうして開演時間に始められないか、その原因もわかってるだろう。
分かっているなら対策も立てられるだろう。どうしてそれをやらない?
そんなことは作品を創るうえで、発表する上で、大した問題じゃないのか?
そうとしか、ぼくには思えないんだ。だから、軽蔑するんだ。

例えば、そんな小うるさいぼくからみんなが離れて行っても、
ぼくは作品を創り、ぼくの決めた時間通りに発表する。
誰一人、一緒に作ろうと言う人がいなくなっても、ぼくは、そうする。
そも、作品は、一人で創るものだ。
作・演出・主演・照明・音楽・音響・美術・制作/高木尋士
充分だ。一人でやるさ。一切合財のそこが、照準機関。

作品に罪はない。
例えそれがどんな作品でも、創作者が一生懸命に創ったんだ。
ぼくは、今も開演時間の謎を考える。
声をあげる。

開演時間を守ろう、と声をあげる。
どこにも届いちゃいないが、声をあげる。
ぼくもいつか死ぬだろう。そのことに対して不安があるわけじゃない。
死ぬことが残念だとも思わない。
死ぬことは、ただの仕事だ。仕事の一つだとしか思えない。
ろくでもない仕事だが。

来週かもしれないし、今日寝ている間かもしれない。
劇場の中でかもしれないし、交通事故かもしれない。
なんにせよ、いつかはやらなきゃいけない仕事だ。
信仰も畏れもない。めんどうな仕事だな、と思うだけだ。
出かけるときには、靴を履く。そんな人がしなければならないことの一つにすぎない。

その日まできっとぼくは声をあげる。
どこに届こうが届くまいが、声をあげる。
開演時間は守ろうよ。

こだわり続けるぼくは、バカ?
いいさ。少しでもそう思うなら、どこへでも行ってくれ。
近付かないでくれ。さっきも言ったが、一人でいいんだ。充分なんだ。
こうして、また一つの決意に似た何かを言葉にした。
退くに退けない窮地に自らを追い込むことはぼくの方法の一つだ。
またこうして退路を断つ。
崖っぷちに立ちながら声をあげる。
声をあげ、行動する。開演時間に始まらなかったら席を立つ運動。
それを誰かに話せば、笑い話になるだけだが、当人はいたって本気。

こうして今日もぎゃーぎゃー。
勝てない喧嘩はしたくないが、この喧嘩に勝機はあるか?
喧嘩は、やる気があるかないかで決まる。

やる気がないなら、やめろ! 素人が! ちょうちんが!

よし、街に出よう。
映画でも観ようか!