脚本は相変わらず進んでいない

2013年4月23日 02:36:18

起承転結、という物語における一つの構造があるとするならば、
その「承」というあたりで止まっている。
そこまでの脚本をテキストに稽古を重ねているのだが、
そこまで行けば、あとは想像力や言葉が本来的に内在している関係によって、
鑑賞者は、「転」も「結」もその脳内に見てしまうはずだ。

と、稽古を見ながら思う。
これ以上、言葉がないのだ。
「転」にも「結」にも、言葉が無いのだ。
もう、ここまでで書くだけ書いたのだ。

そんな物語があってもいいのだろうか。
毎夜、自問する。

言葉がないことに苦しみも悩みもしていない。
焦りも不安も何もない。とても爽快な気分なのだ。
それでも、自問する。何故か。やはり前例がないからなのだろう。
真夜中、そんな自分を叱りつける。
叱りつけながら楽しくなる。

どうせこのままいくんだ、と。