5月作品の脚本が俳優、そしてスタッフに渡された

2014年3月28日 01:06:52

5月は、スーザンナ。

スーザンナ、スーザンナ、と言うが、
本名は、『スーザンナ・マルガレータ・ブラント』だ。

作品はもう完全に、と言っていいほどに、できている。
あとは記述するだけだ

2007年、『天皇ごっこ〜母と息子の囚人狂時代〜』という作品で「再生」は生まれた。
たくさんの人に協力いただき、走り抜けた一年だった。
あの日から、考え続けていたんだ。演出って何? 何をするの? って。

立場上、そう、まさに立場上、その作品では演出を担当した。
わけもわからずやってみた。演出、という、こと、に対しての評価がどうだったのか、

今でも判断できない。

あの日から考えていた。演出って何だろう?
音響と言えば、わかる。はっきりとわかる。
音響には、プランや操作という細かい分類があるけれども、まあわかりやすい。
音響プランと言えば、演出家が創っている、或いは創り上げた作品に対して、効果的な音(効果音や音楽)を当てるのが仕事だ。
音響操作。これもわかりやすい。実際の現場で、リアルタイムに音響プラン通りに音を流していき、劇場内の空気感を作りだすことだ。
照明さん、というのもわかりやすい。俳優。これもわかる。制作すること。これもわかる。美術、衣装、撮影。やっぱりわかりやすい。
さあ、演出、だ。これが、わからん。
世の演出家はきっと「こうだ」とはっきりと答えるのだろう。
だって、自分の仕事なんだから。音響や照明と同じように明確な定義をもっているのだろう。
だが、ぼくにはずっとそれがなかった。なかったからずっと困っていた。
対外的に、演出なんです、と言わざるを得なかったが、それがなにより辛かった。
分からないのだ。

だから、自分がやっている仕事に言葉を当ててみた。
それが、「照準機関」だ。

そうしたら、しっくりとした。自分がしているのは演出じゃないんだ。照準機関だ。
そうして考えると何もかもがぴったりと収まるところに収まった。

照準機関、って何ですか? と聞かれることが、よくある。
だが、それを問う人たちは、演出って何ですか、とは問わない。
きっとそれを問う人は、演出ということが分かっているからだ。

照準機関って何ですか、と聞かれて、何と答えるか。
正直に言うと、その都度適当に答えている。問うてきた人に合わせて、ほんとに適当にその場限りに答えている。失礼? そうかもしれないけれど、その場限りの適当さ的な答えでなければ、問うた人も納得しないはずなのだ。何故か。それは、ぼくが、演出とは何かがいくら経験しても体験しても出来事してもわからなかったように、いくら言葉を尽くしても照準機関が何かが伝わるはずがないのだ。何故なら、照準機関はぼく一人しかいないからだ。
ぼくはぼくだけの言葉を持って機関に燃料を送り、ぼくだけの知覚をもってオイルを回し、ぼくだけの時間をもってキーを回し、ぼくだけの総力をもってその機関のピストンを目に見えぬほどの速さで上下させて、この世のものとは思えないほどの排気ガスと爆音を裸の街にまき散らす。

照準機関って何ですか?

作品を照準するんですよ。それが仕事です。

という答え方は良くする答え方だ。一番無難で一番適当だ。
だが、その答えからは、機関という要素がすっぽりと抜け落ちている。
そう、機関を説明するのが一番面倒だ。きっと分かりたい人もいるだろう。この作品に関わる人たちの中には、はっきりとわかりたいと思う人がいるかもしれない。それならば、常識的にエンジンの機構は理解していてほしい。機関だからエンジンに近いんだ。
照準機関が最後的になにをすべきかという問題も、エンジンを理解すれば、案外すんなりと理解できる。
そう。イギリスの産業革命と同じ構造なんだ。

照準機関として作品を創る、ということを、イギリス産業革命に当てはめて解釈すると、おのずとぼくの行く末も想像がつくというものだ。

そんな照準機関は、5月の作品では、記述機関を動かしてみる。
実は、まだ名付けえぬエンジンが幾つかあるのだが、きっとそれらもおいおいと動かしていくだろう。
駆動機関、発生機関、伸縮機関、整備機関・・・

そんなエンジンを複雑なギヤで噛み合わせストレスなく動かせば、
その巨大な機関群はものすごい作品に辿り着く。当たり前の帰結だ。
ただ、問題は、産業革命と同じ。

街に爆音をまき散らし、毒以上に体に悪い排気ガスをまき散らす。
人々はその音と真っ黒な空気に辟易しながらも、巨大な機関に釘付けになるのだ。
イギリスがそうだった。それなしではいられなくなったのだ。
その音が未来をつれてくると信じ込んだ。
真っ黒の空が未来の象徴だと思ったんだ。
確かにそうだった。

ぼくが今ゆっくりと組み上げているエンジン群もきっとそうなる。
全てのギアがかみ合った時に、それは高木機関と呼ばれるだろう。
そして、たった数年でお役御免となり、
その機関の益を享受した人びとの手によって無残に解体されるのだ。
手足を千切られ、目をえぐられ、口を閉ざされ、肺を潰され。
そんな情景も当然のこと。高木機関という爆音と排気ガスばかりをまき散らしたエンジンは時代遅れと言われ、それに代わる全く新しい思考法、作品への思考法が産み出され、それはきっとコンピュータのようにスマートで静かで美しいだろう。

5月『スーザンナ・マルガレータ・ブラント』という作品。
それには、照準機関と記述機関が登場する。高木機関のたったの一部だ。一部ではあるけれども、産業革命を予感させるに十分な作品になるだろう。