それにしても何故こうも自殺者に惹かれるのだろう

2014年6月9日 22:46:44

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連続公演、と銘打っているが、計らずもそうなってしまっただけだ。

6月24日にどうしても『二十歳の原点』を発表したかったのだ。

1969年6月24日に亡くなった高野悦子さん。
今年で45年。
45年か。長い年月だ。どうしても命日にこの作品を発表したかったのだ。

来年の6月24日にも、この作品を発表していることだろう。

高野悦子さんは、鉄道自殺をした。
山陰本線だ。
ぼくが18歳まで暮らした町に走っていた唯一の鉄道も同じ山陰本線。
中学生の頃、ぼくは鉄道に乗るのが大好きで、日本中全ての鉄道に乗ろうと計画した。
春休み、夏休み、冬休みと鉄道に乗り続け、九州の鉄道を制覇し、
計画は本州に移り、山口県、広島県と制覇し、長距離路線を計画。
その最初が山陰本線だった。
山口県の下関から京都までという長距離。
春休みだったか、夏休みだったか、ぼくはそれに乗った。
京都で宿をとったのか、途中で宿をとったのかも覚えてはいない。
宿は、当時大学生だった年上の従兄弟の大学の友人の家、という
なんとも薄い関係先だった覚えがある。
親も九州だの京都だのと、中学生の一人旅をよく許したものだ。
費用はどうしたのだろう。
中学生の頃は、新聞配達をしていたし、あれこれとバイトもしたし、
素敵な集金システムも構築していた。
そこからの収入を充てたのだろうか。きっとそうだろう。

そんな中学生の頃、ぼくは、山陰本線に乗ったのだ。
高野悦子さんが自殺した二条駅と花園駅の間も確かに通ったのだ。
そこに至るまで、(ぼくは高野悦子さんが死んだ、その上を通るのだ)と、
何か、わけのわからない決意にも似た思いを思っていた。
いざ、そこに来ると、あっけなく通り過ぎた。

中学生、ぼくは、窃視者だったのだ。
ベッドの下の暗闇から世界を覗き見、そして、夜の空にぼくを覗く星を見ていた。
『ぼくは12歳』という一冊の詩集に心を奪われ、
その詩集の言葉の強さを引き摺ったまま中学生にあがった。
中学一年で読んだ『二十歳の原点』には、実は、その頃は、あまり魅力を感じなかった。

あらためて読んだのは上京してからだっただろう。
20歳を過ぎていたかもしれない。衝撃だった。
『ぼくは12歳』と『二十歳の原点』をなぜか、較べていた。

それにしても、なぜこうも自殺者ばかりに惹かれるのだろう。
あちこちの雑談でつい口にする『学生運動自殺者シリーズ』
確かにシリーズじゃないか。

『青春の墓標』の奥浩平に始まり、
『二十歳の原点』の高野悦子。
そして、きっと近い将来に岸上大作を発表するだろう。

自殺者。見沢さんもそうだ。以前書いた『戦闘、開始』は太宰治。
『ぼくは12歳』も描きたい。

誰か、ぼくを呼ぶ声がする

とは、中島みゆきの『砂の船』だが、確かにその歌のような気分だ。


誰か 僕を呼ぶ声がする

深い夜の 海の底から

目を 開ければ窓の外には

のぞくように 傾いた月

僕はどこへゆくの夢を泳ぎ出て

夢を見ない国をたずねて

いま 誰もいない夜の海を

砂の船がゆく

望むものは何ひとつない

さがす人も 誰ひとりない

望むほどに 消える夢です

さすがほどに 逃げる夢です

月は波に揺れて 幾百 幾千

古い熱い夢の数だけ

いま 誰もいない夜の海を

砂の船がゆく

月は波に揺れて 幾百 幾千

古い熱い夢の数だけ

いま 誰もいない夜の海を砂の船がゆく

いま 誰もいない夜の海を砂の船がゆく

ただ 誰もいない夜の海を砂の船がゆく