一つの作品を発表し続けたいと言うこの感情はなんだろう

2014年6月18日 22:53:06

初めて「再演」という形態に手を付けたからかもしれない

何度でも自分が観たいと感じられている作品だからなのかもしれない

作品一つで世界と対峙できると思っているのかもしれない

一度の会期で200人、300人の鑑賞者に観ていただいている

足らないのだ、それでは

数千人、数万人、数百万人という人に鑑賞してほしいと思っているのだ

『二十歳の原点』

「そんなに好きなの?」と問われるかもしれないが、そうではない

好きとか嫌いとかじゃないんだ

この作品の1時間40分は、いつの時代でも世界と対等に渡り合えるからなのだ

そんな作品だから、なのだ

好きな作品、ということで言えば、他の作品の方が「好き」と言える

例えば、『暗室の窃視者』『蒼白の馬上』の方が「好き」と言えるだろう

ということを考えている

毎日毎日、『二十歳の原点』を世に問いたい、と思っている

天井桟敷のように、自らの会場を持てば、それが可能なのだが

あいにくとぼくはそれを持っていない

それにしても、だ

どうやらいつまで経っても「革命」という語に惹かれる自分がいる


「人が革命家になるのは決して容易ではないが、

必ずしも不可能ではない。

しかし革命家であり続けることは、

歴史上に革命家として現われながらも

暴君として消えていった多くの例に徴するまでもなく、

きわめて困難なことであり、

さらにいえば革命家として純粋に死ぬことは、

よりいっそう困難なことである」

とは、ゲバラの言だが、なるほど、確かにそうだと思う

レーニンを読んだり、トロツキーを読んだり、ゲバラを読んだりするのだが

どうにもこうにも好きらしい

革命家!

なんとワクワクする言葉か!

革命!

なんて心躍る言葉か!

寺山さんは、「革命の演劇ではなく、演劇の革命を!」と

確かに様々な実験的な手法でもってたくさんの作品を上演した

演劇における革命、それはどんなことだろう

寺山さんのように演劇というシステムを解体することか

演劇という概念を覆すことか

演じることと観ることという立場を放棄することか

確かに具体的かつ視覚的にはそれは「革命的」ではあるだろう

だが、しかし、ぼくは、具体的且つ視覚的な手法における革命的作品よりも

革命、という、希望と未来を包含する言葉に対して革命的態度でいたいのだ

その、

まさにその作品が『二十歳の原点』なのだ

100年のロングランに耐えうる革命的作品なのだ