作品を創るのは一人であり、作品を鑑賞するのは一人であり、作品自体が必ず一人なのだ

2014年8月24日 23:35:30

作品を創るのは、一人でしかできない
と、なんだかんだずっと言い続けてきた
分かりづらければ、「演劇」を作るのは、一人でしかそれはできない
と言えば、いいのだろうか
そして、そう言うと、案外、あちこちで「それは違う」と言われる
「演劇」は「総合芸術」であり、
作家や演出家や俳優や多くのスタッフの方々の力があり、できるのだ、と
ここまで読んで苦笑した人がいれば、それはぼくの作品の一人だ
きっとその人は(何が総合芸術だ!)とニヤリとしたのだろう
もちろんぼくもその人も彼らの言う
みんなで力を合わせて創る、ということのあまりに当たり前の感動と感謝を知っている
知っているからぼくたちの作品の後には
ほんとうに心からの「ありがとうございました」という言葉しか存在がないのだ
それを知ったうえで、「総合芸術」にぺろりと舌を出すのだ
作品は一人でしか創ることはできないんですよ

さて、それはさておき、そんな一人でしか創ることのできない作品だが、

来年は、四本を予定している
「そういえば、高木君、君は明日なんかないと言い続けているじゃないか。
そんな君が来年の予定を明言することは矛盾じゃないのか」
と、例えば太宰的世間の声がする
さて、それを説明するにはまた長い時間がかかるのだ

ということで、さておき、ということで、来年の話

3月、芥川龍之介『羅生門』
6月、高野悦子『二十歳の原点』
9月、見沢知廉『天皇ごっこ〜母と息子の囚人狂時代』
11月、カミュ『正義の人びと』

と、全て原作ものだ。そして、その全ての作品が楽しみだ。
作品を一人で創り、鑑賞者が一人でそれに接し、作品が一人と言う孤独をかみしめる

2015年

あれやこれやから100年が経った
あれやこれやから1000年が経った
なんだかんだで時間が過ぎていく

という三行が「明日なんかない」ということの証明の一つでもあるのだが

さて、2015年か