つい、稽古、稽古、って言うのだけれども、
2015年7月31日 02:15:53
やってることは稽古って感じじゃないんだよなー
と、帰宅後こうしてひとり思う
創っているのだ! という感じともちょっと違う
見ているのだ、感じているのだ、触っているのだ、という感じが近いかもしれない
けれども、やっぱり違う
じゃあ、照準しているのか、というと、それも違う
照準はもうすでにしてしまっているのであり、今さら照準なんかできやしない
では、記述しているのか
そう、それが一番近いだろう
だがそれ以上にぴったりくるのはなんだろうな、と思うのだ
この頭蓋に、あっ、まあいいや、この頭蓋にぷかりと浮かんでいる中空の、
そう、中空の天体を眺め見ながら、ぼくは、この作品の中に忍び寄る醜悪な時間と戦っているのだ
という言い方が最も近いが、なんか、こう一言で言えんかね、と思うのだ
もう何年も、そんな言葉を探している
いや、まあ、確かに、稽古、という一言の方が、なにかと楽は楽なんだが、
言葉屋ベルーフを目指している自分にとっては、それじゃいかんな、と思うのだ