ふくろうとの対話

2008年1月20日 23:36:09

写真

演劇にたずさわる者に必要なのは、命だ。
命のない想像力に、一体何が創造できるか。
命のない個性を、一体誰が見たがるだろうか。
命のない技術に、一体何が表現できるか。
芸術に仕える者に必要なのは、生命だ。
生命だけが、時間を止めることができる。
生命だけが、美学を受容することができる。
生命だけが、命を刻むことができる。

今の演劇に、命があるか。

昨年と同じ症状。
嘔吐と下痢。
昨年は、ノロウィルスだった。
冷静に思い起こす。
昨年よりは、症状が軽い気がする。
出すだけ、出す。
水分を取り続ける。
ショック療法を試みる。
昨年のショック療法「チキンカツカレー」は失敗だった。
今年のショック療法は、人間の生命力を頼みの綱に。
再びノロウィルスだとしても、
ウィルスが宿る肉体が死滅してしまえば生きながらえないだろう。
悪寒をこらえ、
上半身裸になり、
包丁の切っ先を胸に当てる。
死を覚悟する。
このショック療法で、快方にむかうだろう。
切っ先は、冷たくて、一点、熱を感じる。

書店の寂しさは、変わらない。

体調の極度の不調ゆえ、一日をあきらめ、
読書と療養。
午前中に一冊読み終え、
お昼にショック療法を試みる。
書店と病院に顔を出す。
数冊の本を手にする。

本は、魔物だ。

3通の手紙をしたためる。

あたたかい野菜のスープを作って飲んでみる。

部屋の空気を入れ替え、一番遠い音を聞く。

本は、魔物だ。

午後から、一冊の本を読み終える。
ぼんやりと年内の予定を思う。
昨年、思いもよらなかった予定が入ってくる。
能動の結果なのか、受動の結果なのか、
主体的行動なのか、客体的行動なのか、
どうも判断できないけれども、物事が一つずつ決まっていく。

切手を買うために、近所のコンビに足を運ぶと、
そこには、現代日本があった。
縮図、とは簡単に言いたくはないけれども、
そこには、それがあった。

一番遠くの音が、聞こえた。

同志高橋さんが「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる。
もうすぐ、読み終えるだろう。
初めて読んだ日のことが思い出される。
イワンが好きだった。
大審問官にはとてつもない衝撃を受けた。
書いてきた脚本に何度もその言葉を使った。

一番遠くの音は、ページをめくる音。