疲れ果て、目が冴える。こんな夜は何度も知ってる。そうだ、映画を見よう。【DVD】『スワロウテイル』

2008年5月26日 00:10:48

写真

蒸し暑い。
扇風機の音が重い。
真夜中、コトバは目の前の止まり木で眠っている。
肩こりか腕が重い。
シャワーを浴びたりしたり、きっと気持ちいい。
大荒れの天気にならないものか。
なにもかも吹き飛ばし、
なにもかも洗い流し、
なにもかもをきれいさっぱり。

コーヒーを淹れる。
フレンチプレス用に超粗挽きの素材。
たっぷりのお湯を沸かし、
カップとプレスを暖める。
1mmを超える粗挽き豆を少し多めにいれる。
少しだけお湯を注ぐ。
豆が膨らんでくる。
それを眺めている。
香りが立つ。
ゆっくりとお湯を注ぐ。

映画が好きだ。
いい映画が。

きれいな一瞬を保存できる映画という手法。
演劇には、保存という機能がない。
記憶という主観を解してのそれしか方法がない。
けれども、創り手の意図する「一瞬」を普遍的共通な「衝撃」をもって、客観的に観客に保存させることができるのではないか。

それができないのが演劇だ、という定義は、
これまでの演劇人の諦めではないのか。
過ぎ去っていった演劇人。
定義を定義し続けて、自らを失っていった多くの演劇人。
定義に定義され、その屍をさらし続けている著名な演劇人。

彼らは、演劇というものを定義することで、
諦めてしまったのだ。

演劇は、保存できない。
そのことに、諦めと誇りと自己満足を定義して。
自己満足し続けてきた多くの劇作家。
過去の実績に誇りを抱き続けている演出家。
保存できないことに自己の演技を正当化し続けてきた俳優。

脚本を書いている。