横浜に言葉が言霊う文学の森と鈴木真眼

2008年7月28日 00:21:42

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午前中から気温は上がり、早朝の曇り空はどこへ。
慣れない電車を乗り継ぎ、元町中華街駅。
地上に上がり、駅をでる。ここは、いつ来ても感じる。
(神戸にそっくりだ)

横浜、元町、みなとの見える丘公園。
その片隅に在る神奈川近代文学館。
みなとの見える丘公園の中を日差しをよけるもの無くそこを目指す。

霧笛橋。

それを渡ると文学館。
企画展は、台湾文学。目的はそれじゃない。
台湾文学は、かけらもかじっていない。何がなんだかわからない。
見たかったのは、常設展「文学の森へ」。今日は、その第3部。

太宰治の、坂口安吾の、安部公房の、三島由紀夫の、澁澤龍彦の、

原稿を間近に見る。言葉がある。覚悟がある。命がある。
万年筆で書かれた原稿。一文字一文字。
諳んじている小説の中の言葉。それが、著者本人の筆で、目の前にある。

(そういえば、自分が書いた原稿はどうしているだろう)

万年筆で書きに書いてきたこれまでの原稿。
あまり執着は、ない。脚本という小説とは違う芸術だからか。
舞台上で完成される芸術のためのものだからか。
それともたんに自分の性格なのか。
これまでに書いてきた膨大な量の原稿用紙。
捨ててはいないだろうが、どこにあるのか、さっぱりわからない。
人手に渡ったか、あるいは本当に捨ててしまったのか。

神奈川近代文学館、もう一つの目的は、そこのレターセットを入手すること。
売店を見渡すと、

ない。

スタッフに聞いてみると、デザインが変更されて新しくなったとの事。
新しいレターセットを見てみると、ダメダメになっていた。
前のが欲しい、と言うと、アンケートで要望を出してみてください、と言われた。
言われたとおりにアンケートで「前の方がいい!復刻を!」と。

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午後から、緑園都市という街に移動。
鈴木真眼女史の書展「命ある書を求めて」を拝観。
静かで人工的な街に立つギャラリー。
エレベータを降りると、驚くべき命があった。

鈴木真眼女史が笑み静かに。

劇団員市川未来のご母堂。
その小さな体から生み出されたとは思えないほどの力という力。

書という書。

物語があった。喜怒があった。静謐と破壊があった。
再生と再再生があった。音と光があった。
カラフルな止揚の果てがあった。或は止揚開始か。
可能限界の一言を見た。

力という力。

驚いた。こんなに自分が動揺するとは思っていなかった。
そうだ、動揺したんだ。確かに。
あの白と黒の果てに動揺し、慌てた。

でてこない言葉を無理やりに話し、失速した。
ギャラリーを出ると、積乱雲。夏だ。

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東京に戻り、稽古場に。
照明家の若林恒美さんが参加。
劇団再生に無くてはならない必殺光線を隠し持っている若林さん。
劇団再生の何たるかをものの見事に映し出してくれる若林さん。
演劇が起こす奇跡のきっかけを知っている若林さん。

真夏の8月。

照明卓には、若林恒美さんが魔術のようにフェーダを操る。

若林さんを前に通し稽古。
チュッパチャプスを口に運命の扉を一撃で開ける俳優を見る。