漫画が大好きでたくさん読むのだけれども、消耗度と情報量が比例していないのではないかという焦燥

2008年8月13日 15:02:28

そういえば昨年までは、漫画も「読書量」にカウントしていた。
連載ものなら単行本で完結したら一冊。一冊完結ものなら、もちろん一冊、と。
けれども、今年はそれをカウントしていない。
鈴木さんに「漫画は数えないでしょう」と言われたから。

漫画が大好き。画という情報とそこにある文字という情報の奇跡のバランス。
素晴らしい表現だと思う。一瞬で物語を喚起させる、一目で情意を伝えうる方法としての漫画。
大好きな漫画家はたくさんいる。忘れ得ない漫画もたくさんある。
現在も連載中で発売日に書店に走るような漫画もある。

それにしても眼から入る情報を処理するなんという速度と精度。
ページを開き一瞬で把握できる漫画。人間の能力を最大限に利用した漫画という手段。
いやらしいほどに人間を利用した手段。いやいやほんとに素晴らしい。

鈴木さんから送られてきた「史記11巻」と「狼の星座4巻」。
そういえば昔読んだな。と思いつつも読み始めるとどんどん読んでしまう。
忘れていたことや、今だから理解できることがあるんだなあ、と客観的に自分を相手に。

しかし、疲れる。漫画を読むのは疲れる。文字情報と画の情報を同時に瞬時に処理するからだろうか。
思想書を読むほうがよっぽど楽だ。
漫画は疲れる、疲れるけれども読後の感動や内在するエネルギがほのかだ。

漫画が大好きでたくさん読むけれども、なんだか疲れる。
人間個体の処理方法や向き不向きがあるのか、ウィンドウズ人間とマック人間がいるのかもしれない。
本人間と漫画人間。

人間が搭載するCPUの違いか、OSの違いか。

そうだ、恐るべきシステムだ。
高木が今、マシンの前にいなくても、こうやって「高木ごっこ」に記事があがる。
不思議だ。このシステムを構築した「彼」には頭がまったく上がらない。
高木は今、ここにいない。けれどもこれは高木の言葉。高木が書いている。
書いているけれどもここにはいない。奇跡のシステム。