鈴木邦男という質量・・・『AERA』『月刊TIMES』『「蟹工船」を読み解く』

2009年4月9日 23:51:44

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『AERA 09,4.13号』

鈴木さんと本の話ばかりしている。
最初に親しく話をさせていただいたのも、本の話しだ。
「吉村昭、読んだ?」と、聞かれた。

吉村昭は好きで昔からずい分たくさん読んできた。
だから、そう答えた。
「何が一番好き?」と聞かれ、確か、「破獄」と答えたのではなかったか。
他に、「プリズンの満月」「仮釈放」「大本営が震えた日」なんかを答え、
いろいろと話した。

そして、鈴木さんの指導で全集を読むようになった。
灼熱の危機感を抱いていた頃だ。
何もかも知りたかった。人間の存在、宇宙の真理、宗教、哲学、科学、文学、芸術、何もかも。
それは身を焦がす灼熱だった。
なにから手をつけていいかわからなかった。
鈴木さんに教わり、日本思想大系から一歩ずつ進もうと思った。

そして、この「高木ごっこ」に「鈴木邦男の質量」という小題でぽつぽつとそれを書いている。
「質量」としか表現のしようがない鈴木さんのそれ。
それは、重さでも距離でもなく質量であり、
それは、存在でも非在でもなく質量であり、

鈴木邦男さんが、今発売中の「AERA」の「現代の肖像」に取り上げられている。
それを読んだ友人は、
「高木さんが、『質量』というのがわかる」

そう言った。

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『月刊TIMES 2009.4月号』

記事には、ぼくの知っていることもあり、知らないこともあり、
まさに質量を正確に質量としていた。
この「AERA」の表紙は、天皇皇后両陛下。なんという号に出たんだ。そう思った。
先日の鈴木さんとのトークを思い出す。
トークの間中感じていたことがあった。

(鈴木さんは、どこに行きたいのですか?)

そう感じ続けていたけれども、聞くことはできなかった。
鈴木さんの統治感覚が大きすぎるのか、それともその質量を計測する機械がないだけなのか、
あるいは、既存の何かに置き換えることのできない思索性ゆえか、
一番近いのは、「宗教性」だろう。

(鈴木さんは、どこに行きたいのですか?)

そう聞くと、鈴木さんはなんと答えられるだろう?
あの独特の笑顔を笑い、とんでもない脱力を起こさせる解を導くかもしれない。

東西、古今の思想家がおしなべて宗教性に近づいていくように、
鈴木さんにもそれを感じる。
鈴木さんの宗教性とは何か。それは、

一つの推定があるけれども、ここで書くことが少し躊躇われる。
今度、聞いてみよう。

本さえ読んでればいいんだ! と鈴木さんは言う。
そして、ぼくもそう思う。寝たり食べたり遊んだり、そんなことはどうでもいいんだ。
本さえあればいいんだ。そう思う。
ころすけにそう言ったら、だってお金にならないもん、と言った。
本だけを読んでたら、鈴木さんとか高木みたいになれる! と言ったら、

・・・やだ。

と言った。

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新著『蟹工船を読み解く』