「地下室の手記」、とこれを書き始めたけれども、ドストエフスキーとは、まるで違う『地下室の手記』
2009年3月30日 20:34:47
【撮影・平早勉氏】
3月29日午前11時。
2ヶ月ほど前に、この一本の演劇「詞篇・レプリカ少女譚」の稽古に入った。
3ヶ月ほど前に、この演劇の脚本にペンを入れた。
4ヶ月ほど前に、この演劇の制作にとりかかった。
1ヶ月ほど前には、稽古は熱を帯びていた。
写真家の平早勉さんに撮っていただいた膨大な数の写真を前に
阿佐ヶ谷、地下、言葉を探している。3月29日。
会場に設置されたスピーカーからは、
SIONやMODSが流れ、目の前では俳優たちが体を動かし、
数時間前にこの地下の床に「ねむいよー」と転がっていたゆーこちゃんは、
にこにこしながらお金を計算している。
過ぎた、としか言いようのない劇団員との時間という時間。
この一本の演劇に費やしてきた彼らとの時間。
右も左も、上も下も、プラスもマイナスもない彼らとの時間。
その時間をこの地下室で思い出す。
物忘れがひどくなっているというのに、そんな不埒な肉体的な時間は完全に刻まれている。
ぼくの記憶のメカニズムに「地下室」というキーワードが大きな触発がスパークしているのだろう。
そして、今。
3月30日午後9時。疲労の果てを知り、疲労の深度をまた深く確認した数十時間。
「過労死」ってあるんだよ! と照明家若林恒美さんと操作卓の前で話した。
けれども、疲労の限界値をまた更新したことも確認した。
「地下室の手記」と会場で数行を書いたまま、丸一日半が経過した。
その一日半の間に、
2回の本番があり、1回のトークライブがあり、
おでこにひえぴたを貼ってひっくり返っていた時間があり、
俳優の顔にメイクをしていた時間があり、
お客様を迎え、お客様をお送りした時間があり、
ありがとうございました、と数十回口にし、
組み上げた舞台をきれいさっぱりばらし、車に積み込み、
真夜中の東京に舞台道具を返しにまわり、
数時間の気絶と朝7時の朝。池袋、平和台、上板橋と予定をこなし、
自宅に積み上げられた「世界教養全集」を前に舌なめずりをし、
コトバの羽があちこちに落ちている部屋で、マシンの前。
あれから一日半。
劇団員は、どんな数十時間を過ごしたのだろう。
真夜中、会場を後にした後の彼らはどう過ごしたのだろう。
3月30日。全日程を終えた翌日、今日。疲れているだろうな、と思いながら、
制作のゆーこちゃんを叩き起こす。
至急に処理していくべき膨大な作業をリストアップする。
その準備にとりかかる。
公演を終えて一週間内に処理すべき事柄はあまりに多い。
眠いだろうな、かわいそうかなとも思うけれど、ゆーこちゃんを叩き起こす。
布団が愛おしい、というゆーこちゃんに「今日中にやりなさい」。
自宅に積み上げられた本という本。
トークライブで鈴木さんと話したあれこれを思い出す。
目の前に広がる真夏の8月。「見沢知廉生誕50年記念展」
その脚本は、まだだ。
書きたくて仕方がない。ペンを入れたい。
ほぼ全てのシーンが見えている。具体的な舞台上のイメージも見えている。
劇団員が吐き出す言葉も聞こえている。
音楽も流れている。書きたい。一秒でも早くペンを入れたい。
だが、
待て!
と声がしている。
まだだ! もう少し醸せ! 常温で保存! 腐敗直前の濃厚な危険領域まで待つんだ!
見沢さんのお母さんから手紙が届いた。
手紙を読み終え、部屋を掃除しようかな、と思った。
思っただけでできそうにない。今日は、横になるべきだ。きちんと眠るべきだ。
その前に、一通の手紙を書こう。
消息不明の友達に手紙を書こう。行方不明の彼に投函しよう。
「ご無沙汰、元気か、ひさしぶり」
写真家平早勉さん、記録スタッフのツカムラケイタさん、
制作部のゆーこちゃん、ぼく。カメラを構えシャッタを切った。
その写真がこのマシンに収めれれた。
1000枚を越える写真をぱらぱらと見ながら、
終わったという感慨も、懐古も、懐かしさも、何もないことを知る。
終われば終わるという当たり前のことがきちんと把握できている、今日。
ぼくたちの物語は、続いている。
劇団員に話した。
終わるときは始まるときで、始まるときは既に終わるときだ。
それが劇団再生の継続システムであり、明日を証明するための一つの方法なんだ、と。