柴崎雄、ほんとにこんな男を見たことがない。危険だ。

2008年10月26日 23:52:41

写真

この「高木ごっこ」に、男Sやんという名前で、
そしていつしか本名で登場してきていた、柴崎雄くん。

ひんぱんに会うわけではない。
劇場に足を運んでくれたり、友人辻慎之介くんと焼肉を食べたり、
そういう機会がないと、なかなか会わない。
意識して会わないわけでは全然ない。
自分が忙しいのか、時間がないだけなのか。
時々メールをしたりはする。

その、柴崎雄くん。

またまた『STREET BIKERS’』に。
ライダース特集ページのトップを飾っています。
そういえば、

と、この『高木ごっこ』の以前の柴崎雄くんの記事を見てみました。

高木ごっこ・・・31-11 『SやんのSはSのS』
友人Sやん発見!
男Sやん、再び!
友人T君と男Sやんから
辻慎之介と柴崎雄

なんだかたくさんの物をもらった。
とってもいいものをもらった。

そして、彼に贈るものをぼくは、もっていない。
言葉だけだ。

言葉だけだ。


唯一の真の突破口は、まさしく、
人間の判断するかぎり突破口など存在しない所にある。
そうでなければ、どうしてわれわれは神を必要としよう。
ひとが神へと向うのは、ただ、不可能事を獲得したいためにほかならない。
可能事についてなら、人間でこと足りる。

彼に、言葉を書くことしかできない。
届くだろうか。
届くだろうか。


精神の第一歩は真であるものを偽りであるものから区別することだ。
しかしながら、思考が思考自体に省察の目を向けるやいなや、
思考がまず見いだすものはひとつの矛盾である。

書いても書いても彼を完全に完璧する言葉は見つからない。
そりゃそうだ。
一人の確かに生きている人間を形容しきる言葉なんかあるはずがない。
あるはずがないのがわかっていても、書こうとする性。


精神が生きてゆくのに必要な眠りを精神から奪ってしまうこと測り知れぬ感覚とは、
いったい、どのようなものなのか。

彼との初めての出会いを思い出す。
危険な手触り。テキニシテハイケナイ。ワーニンワーニン!
警報が鳴り響いた。
危険な男だ。やばい、と思った。
にこにこと礼儀正しい彼の精神構造危険メータ100。


自慢には値しなくても、大威張りすることではなくても、
それがおのれの道に従い、独自の栄光に彩られた一生であったことは否めない。
善悪などという権力者好みのきめの粗い尺度は、
所詮、持てる物たちのご都合主義からうまれた、あまりに皮相なものにすぎないのだ。

言葉を彼に、書き、真夜中。