『天皇ごっこ〜調律の帝国〜』という時間
2009年8月30日 19:33:33
こうして、記念撮影をする。
いつもご来場いただくお客様とスタッフの方とロフトの方と、そして劇団員と。
印画紙に焼き付けられ、時間を封じ込められた写真は、いや、今は違うか。
シャッタを切ると光と影が印画紙に焼かれることはなく、デジタルの信号で処理され、
こうして、再現される。
一枚の再構築された信号の中に時間がとまる。
マトリクスを思い出す。ぼくたちは、どこに居るんだ、と問わずにいられない。
残された写真を見るたびにそう、問う。
ぼくたちは、どこに居るんだ。見失うな。そして、
振り向くな、と。
そこは、時間の墓場だ。ぼくたちは、ここに居る。
声を嗄らし、あなたの目を全身で見、あなたの声を全細胞を通して聞き、
声を嗄らし、たった一言の言葉を叫ぶ。
声を嗄らし、からし続け、名前を呼ぶ。あなたの名前を呼ぶ。
『ゴム地獄』と呼ばれた舞台装置。
ぼくは、一人で『獄地獄』と呼んでいた。
劇団員一人ひとりに、それぞれその呼び名があったはずだ。
通称『ゴム地獄』
この美術に、この装置に、この演劇そのものに、見沢さんを見ていた。
幕が降り、ばらばらに解体されたそれは、今何を思っているだろう。
写真を撮る。たくさんの写真を撮り、撮っていただき、
時間が、そも何か、と問う時間があり、その問う時間は何だと問い、
その問う時間は何だと問う時間は何だと問い、どこまでも問い続け、
その問い続けることが、劇団再生の一つの方法論序説であり、解法のまた一つでもある。
鈴木邦男さんと劇団員。毎回残されるこの構図。
それは、やっぱり時間であり、そして、やっぱり時間の墓場だ。
公演が行われたのは、たった先週だ。或いは、随分と先週だというべきか。
肉体の疲労は取れないまま、この先週から今という時間を、居た。
偉大な夜をしたし、
名前を呼んだ。
見沢さんのお墓にその報告に晴天し、文学館に太宰を三島を芥川を触れ、
偉大な一日を知ったり、名前を呼んだり、
時間の墓場に追い込みたくはない一日を歩いたり、
形而下の投票箱に投票用紙を落としてみたり、
カロリーを計算しながら、恥ずかしげもなく咀嚼してみたり、
飯を食うなんて恥ずかしい真似を見られたり、
数年ぶりにアルコールを摂取したり、
手紙を書いたり、書かれたり、
ダイジェスト動画
煙草に火を点け、言葉の空に煙を吐き出してみたり、
吸いさしの煙草で、どこかを指してみたり、
短歌を一首作ってみたり、
祖母が亡くなったり、叔父が亡くなったり、
泣くことを知ってみたり、
写真には収められない、時間を知りながら、たった先週或いは随分先週に長いお別れをする。
感想を頂きました
鈴木邦男さん・深笛義也さん・針谷大輔さん・いつもご来場いただくお客様
早見慶子さん・伊藤正福さん・じべ。さん